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基本情報

 

皆様こんにちは!このブログ、『Waver』を運用しているつぐみと申します。

海外×クリエイティブを人生のモットーに、マレーシアに移住しながら世界中を旅して生活しています。

本記事では、この『Waver』のブログサイトを運用している私の“生い立ち”や、
“どんな経緯で海外在住の道を選んだのか”、また“今後の新たな挑戦”についてお伝えさせて頂きます。

・つぐみ
・1999年1月22日生まれ(現在24歳)
・マレーシア在住
・旅するように生活する、ノマドワーカー
・留学サポート会社でライターの副業としています
・趣味: 海外旅行、一人旅、グルメ巡り、美術館巡りetc..

先日インタビューをしていただいた記事もありますので、よろしければ下記もご覧ください♪

幼少期時代: 昔から自分のスキルで稼ぐのが夢でした

絵を描くことが大好きな幼少期時代。

昔からぼんやりと「自分のスキルで好きな場所で生計を立てたい」という思いを抱いていました。

将来の夢について考えた時締め切りに追われながら自宅で仕事をする漫画家」になっているイメージしか思い浮かびなかったのです。

私は小学生になっても、授業中には漫画のコンセプトやストーリー、キャラクター設定をノートに落書きし
学校から帰ると、すぐに自作の漫画制作に取り組んでいたような子供でした。(笑)

数々の絵のコンクールでも入選され、世間でも評価され始めた時
私の取柄は絵が描ける事しかない。一生絵を描いて過ごす!
という漠然とした願望を心に強く持っていました。

学生時代: デザイン系に進むも海外に憧れを持つ

中学時代: クリエイティブな作業が得意な、英語の先生に感化される

中学生の頃、感銘を受けた英語の先生がいました。

その先生は英語だけでなく、5か国語を操る真の国際人。
かつてアメリカや香港に在住し、国際分野に精通していました。

それだけでなく、先生はイラストやライターの才能も持っている方で
彼女が毎週作成してくれる手描きイラストが描かれた学級新聞を見るのがいつも楽しみでした。

先生に憧れ、学年の編集委員の部長を務めながら、学年新聞の制作に没頭していた時もあります。
先生に応援されながらも、ライター・編集部門で県大会で入選したことがきっかけで絵を描く事だけでなく文章を書くことの楽しさも知ることができました。

私は彼女の視野の広さや経験に憧れるようになり「先生のようにいつか海外でたくさんの経験を積みたい。そして、自分のスキルを追求したい!」と思うようになりました。

高校時代: デザイン系から国際系に進む事に!人生のシフトチェンジ

昔から絵が好きだったため、高校ではデザイン科に進学。

グラフィックデザインやポスター作り、美術やデッサン、模型など
3年間で多くのデザイン基礎を学びました。

ところが、高校でも感化されたのは
デザイン分野でなく普通科目授業の先生。

しかも地理や歴史を教えてくれる社会科の先生です。

先生は昔バックパッカーで世界を旅していた人でした。
地理の授業では、その土地で撮った写真や購入したお土産を沢山見せてくれたのです。

「世界には日本と違った文化があって、私たちとは異なった価値観の人達が暮らしている」という異国のカルチャーに憧れとロマンを感じるように。

「いつかこの目でたくさんの異国の世界を見てみたたい」と思うようになりました。

次第にデザインよりも、英語や社会科目の方が楽しいと感じるようになってしまい、
当初はデザイン系の会社に就職するつもりだったにもかかわらず、予定を変更して国際系の短大に進学する事にしました。

幼少期から絵の道を進むと思っていたのですが、
まさか自分が海外の道に進むことになるとは、自分自身に驚きました。

短期大学時代: 自由なオーストラリア人たちを見て、海外生活に憧れを持つように!

中学や高校時代の海外への憧れを機に

短大では国際文化や宗教・言語について学ぶことになりました。

そこでの学びが、より海外移住の道を歩むためのきっかけとなります。

特に、そのきっかけをつくってくれたのは、留学先のオーストラリアです。

私は現地小学校のインターンを経験したのですが、
クラスの全員が積極的に手を挙げて発言をしていたり、小さな子どもたちが自分の意見をはっきりと言う教育体制に驚かされました。

授業の雰囲気は真面目な感じかと思いきや、(いい意味で)そうではありません。

オーストラリアの小学校では、子供たちが寝そべったりあぐらをかいたり
自分の好きな姿勢でそれぞれ勉強していました。

楽しそうなオーストラリアの子供たちは意欲的で
先生たちも、生徒たちの個性を伸ばすための教育を大事にしています。

また、オーストラリアは多国籍国家。

オーストラリアの国民的スポーツ、クリケットで遊ぶ子どももいれば
インド系の子どもはカレー屋さんごっこをしていたり
中国から移民してきた時の出来事を話してくれる中華系の子供がいたりと
遊ぶ内容にもそれぞれの文化が影響されていました。

日本では、皆と同じ意見や行動をすることが優れているとされ
違うことをすると叱られたり、目立たずに生きることが求められる場面が多々ありますが
多国籍国家ではそもそも生まれた背景や民族がそれぞれ違うため
国民全員の思想やカルチャーを統一する事ができません。

自分の意見や個性を抑圧される日本の教育体制で育ってきた私にとって
オーストラリア人たちののびのびとし、個性を伸ばす生き方がとても羨ましく思いました。

ホストマザーは
「もっと肩の力を抜いて、自分の心に正直になっていいのよ。」
と何度も言ってくれたのを覚えています。

自分がスタンダードだと思っていたルールは、他の国とは全く違う。
自分自身が現地でインターンをする上で体感した出来事でした。

オーストラリアから帰国後も、バックパッカーで色んな国の文化に触れているうちに
いつしか海外移住に対して憧れを抱いていたのです。

日本での社会人時代: 日本での働きづらさを痛感する

大手日系企業に入るが3か月で退職

2年間の短大生活はあっという間に終わり、就職活動の時期になりました。
海外経験から『いつかは絶対海外に住む!』と目標をたてたものの
自分の進むべき道や海外へ行くための能力についてはまだ模索中でした。
というのも、海外に行くための語学力もお金もスキルもまだ持っていなかったからです。

そこで、とりあえずは日本の”右に倣え”という文化に従って、英語を使える大手企業に就職しようと考えました。

厳しい就職活動を乗り越え
晴れて最初に入った企業は、とある都内大手IT企業の受付の仕事でした。
業種自体はスキルアップの見込みは薄いようでしたが
英語を使って仕事ができる環の大手企業に入れたので
自分の中で就職活動は成功したつもりでした。

ところが、いざ入社してみると
配属された部署では受付業務の時間は少なく
主に事務作業やお茶出し・掃除などの雑務を担当する仕事で、毎日意地悪な先輩に怒られる日々でした。

精神的にも体力的にもすり減らされる中、手取りはたったの15万円。
東京の会社の近くに一人暮らしをするには、あまりにも足りない金額です。

会社からは「将来、君たちがお年寄りになった時は年金が足りなくなるから
今から確定拠出年金の運用を行うように!」と言われ
お給料から毎月社会保険と税金ががっぽり引かれました。(現在は海外移住をしたので、そのお金は帰ってきません)

よく『日本の若者は未来が不安』という意見を聞きますが、
自分が実際に日本で社会人になった事で、その言葉の意味を目の当たりにしました。

それだけでなく髪の長さや色、ネイルに厳しかったり、
新入社員は一人でサービス残業をさせられる日々…

日系企業特有の厳格なルールや謎の風習に嫌気がさしてしまい、
わずか3か月ほどで新卒で入社した会社辞めてしまったのです。

新卒で入った会社を辞め、次に入った転職先は外国人ツーリストを案内する観光案内所。
来たる2020年オリンピックで、日本に増えるであろう外国人たちに英語を使って手助けをしたい!という思いで2年間勤めました。

仕事内容は楽しく、素敵な仲間にも囲まれ充実していたのですが
漠然と日本の未来に不安を感じていました。

「受付の仕事はAIにとられるかもしれない」
「日本は年金税金も高く、このままではお給料はあがらない」
「将来結婚して子供を育てるのは大変なのではないか」

そんな事をずっと考えていました。

そんな中、世界はコロナ禍に見舞われ
その影響が日本にも広がり、漠然とした不安がより一層増していくようになりました。

コロナ禍という最悪な逆境を乗り越える

更に、2020年にはコロナ禍でオリンピックが中止になりました。

外国からのお客様が全く来ない状況で、英語を使った仕事ができなくなってしまい
“働き甲斐”というものが感じられなくなってしまった出来事でした。

“大好きな海外に行きたいのに、渡航も制限される日々”に辛さを感じ、改めて
「自分は海外に携わっている事が、一番の生きがいなのだなぁ」と気づきました。
そこで、どうにかしてコロナ禍の現時点で海外に行けないものなのか、と考え始めたのです。

そして、「海外に移住する夢を、今叶えてしまおう」と思い立ちました。
観光では外国に行けないかもしれませんが、移住権を持っていればその国に渡航できるはず。そう思ったのです。

昔から憧れていた海外移住。

若者にとってこの先一生日本に居残るのはリスクがありすぎる。

コロナ禍で海外に住むなんて厳しい状況でしたが
厳しい状況だからこそ自分の能力を試してみよう、と燃えていたのを覚えています。

努力が報われ、夢だった海外移住を果たす

私はコロナ禍になる前から様々な国に移住視察に行っていたのですが、
一番気に入った国がマレーシアでした。

そこからマレーシア移住を目指し、『どうしたらビザがもらえるのか、どうしたらコロナ禍で渡航ができるのか、どのくらいの英語力とお金が必要か』を逆算して徹底的に調べました。

調べた結果コロナ禍でマレーシアに移住する方法は2つ。
1.学生になるか、2.現地で就職するかの二択です。

私は二択のうち、学生になる道を選びました。

日本では短大卒で学歴にコンプレックスを感じていた為、
異国の地では、4年大学を卒業したいという思いがあったからです。

また、再びデザインの勉強をし、マレーシア現地のクリエイティブな会社で働きたいという願望もありました。

マレーシアの大学に進学するために、仕事が終わった後は受験勉強と英語の学習を始めました。
私は純日本人なので、現地の人々と学習するには明らかに英語力が不足していました。また、英語圏への移住を目指すためにはTOEFLまたはIELTSという
難易度の高い英語テストのスコアも必要になります。

通常、これらの英語のテストは塾や留学などで勉強しなければ目標点数に到達することは難しいのですが、
この時は時間もお金も限られていたため、泣きながら自己学習で勉強し
なんとか大学入学に必要な目標スコアを達成することができました。

それだけでなく、年間の授業料も自分で負担しなければならず
無駄な出費は避けなければなりませんでした。
そのため、コツコツと貯金をする毎日を送っていました。

すべては自分の夢を実現するためです!

ところが突然、コロナ感染者が増えるにつれて、マレーシアの新規ビザの発給が停止されるというニュースが伝えられました。

ビザを発行してもらうために勉強も頑張ってお金も貯めたのに・・・と絶望的な状況に陥りました。

コロナ禍で将来が見えなず不安な中、
マレーシアへの移住準備や勉強を進める日々を過ごしました。

この出来事から、「この世の中は、自分の努力だけではどうしようもないことが起こる」ということ、また、「やりたいことを先延ばしにせず、今行動を起こさなければならない」という教訓を得ました。

ここで騒ぎたてた所で、世の中の情勢を変える事は不可能です。
自分ができる事をして、国境が開くのを待つしかありませんでした。

先が見えない中ではあるけれど、ビザ発行が再開されたと同時に
スムーズに手続きができるよう、引き続き勉強と貯金を頑張っていました。

そして半年後、とうとうビザ発行が開始されるようになり、志望校の大学にも合格し
お金も語学力も準備万端の状態に。

ようやく夢が叶い、マレーシア移住を叶える一歩を踏み出したのです!

夢を掴むための「タイミング」が訪れた時、その「チャンスを逃さずしっかりつかむために」は、コツコツと努力をしておくことの重要性を再認識しました。

マレーシア生活: 夢の海外生活が叶いました

大学留学: 夢だった海外生活が始まったが、うつ病を発症してしまう

広い空にはヤシの木が茂り、道端にはカラフルなハイビスカス…
あちらこちらから聞こえる様々な言語に、陽気なマレーシア人たち…

私の夢だった海外生活がついに始まりました!

「明日はどんな一日になるのだろうか。目が覚めるのが楽しみだなぁ」
と考えながら眠りにつく日々。
困難な状況の中でも、勇気を持ってマレーシアに住むことを選んで本当に良かったと思っていました。

また、私はマレーシアのデザイン学部に進学し、
Webデザインやグラフィックデザインツールなどの勉強、アプリ開発の学習を行っていました。

高校時代に一度保留にしていたデザインに特化したクリエイティブな仕事に就く」という夢を、
再度この国で叶えるためにデザインを学ぶことを決めたのです。

ところがもちろん、海外生活は楽しい事ばかりではありません。
授業では高度な英語でのディスカッションやグループワーク、プレゼンテーションが毎日のように行われます。
マレーシア人たちの頭の良さに圧倒され、毎日必死に勉強し課題に取り組んでいましたが、私はいつもついていけず、泣きながら夜中まで復習をしていました。

それだけでなく、日常生活で起こる言語の壁、全てが日本と異なる生活様式、外国人として生きる事の難しさ
日本では感じる事のなかったストレスや悩みがたくさんありました。

そんな中、続くコロナ禍で
マレーシアは厳重なロックダウンの実施が開始されました。

全ての授業がオンラインになり、外出も禁止。
異国の地で外にも出れず、ずっと一人で授業や課題に取り組んでいました。
精神的にとても辛く、2回ほどうつ病にかかってしまったのです。

孤独で涙が止まらず、ベットの上から起き上がれず何もできない。
ロックダウンなので、人とも会えず家に閉じこまる日々。

異国の地でその状態が1年程続いた時、「高額な授業料を払ってまで、ずっとオンラインでこの広告デザインを学びたいのだろうか?」と思うようになってしまいました。

全てが英語で授業内容が頭に入ってこない。
留学しているのに誰とも交流ができない。
ずっと勉強をしたかった事を学んでいるはずなのに、なんだか違う気がする。
学部の選択を誤った気がする。

そんなネガティブな気持ちで授業を受けていました。

結局円安の影響で授業料が高額になり
私は金銭的にも精神的にも追いやられ、1年で学生を辞めて現地で社会人になろうと決心をしたのです。

高校の時と同様にデザインの学習から逃れ、また別の道にシフトチェンジをした出来事でした。

デザインに特化することだけに焦点を当てる方法は、やはり自分には合わなかった
ということを、二度目の挑戦で挫折したことで再認識しました。

マレーシア会社員: 家を手放してノマドに!


異国の地での転職活動もかなり大変でしたが、意外にも新しい会社にはスムーズに採用頂き、
現地のIT会社で社会人として働くことになりました。

マレーシア生活第二弾の新たな幕開けです。

会社は、ITサポートを行っているのでリモートワークを通じてPC一つで仕事ができる環境にあります。

そこで私は、旅をするような生活を送ることを決心します。

契約していたクアラルンプールのタワーマンションを手放し、ノマドスタイルの生活を送ることになりました。

平日はマレーシア国内のさまざまな場所でワーケーションをし、
休日はマレーシアの周辺諸国に旅行する生活…

旅をすることが生き甲斐な私にとって、現在は夢のような生活ができていると
改めて実感しました。

今後の新たな挑戦について

これまでの経歴から、『海外移住』と『自分のスキルを活かしてクリエイティブに働く』という夢を追いかけてきた人生でしたが、

今後は下記を目標にしていきたいと思っています。

1.各国でノマドビザが発給:
フリーランスの仕事で海外に住めるような世の中に!

先日、マレーシア政府から『デジタル・ノマドビザ』が普及されるとの情報がありました。
デジタル・ノマドビザは、IT・デジタル分野で月に約30万円の収入があることを証明すれば、2年間マレーシアに住む権利を得ることができる制度です。

このビザを取得するために、私は今後フリーランスで稼げるようになるために勉強する事を決意しました。

このノマドビザはコロナ禍後、マレーシアだけでなく
欧米やアジア諸国等の多くの国でこの制度が導入され始めています。

自分のクリエイティブなスキルを活かしながら自由に好きな場所で働く事ができる可能性に
非常にわくわくしています。

このビザの発給のニュースが、私の挑戦したい気持ちを押してくれた理由の一つでした。

2. 自分の事業・サービスの展開

「もっと旅がしたい」「時間とお金にしばられたくない」そういった思いから、会社員を辞めて現在はフリーランスでWebマーケターをしています。

詳しくはこちら

きっかけは、副業をとしてブログを書かせてもらっていたお友達の会社を手伝うようになってから、本格的にブログだけでなくWebマーケティングや会社経営に携わってほしいとオファーを頂く事になった為です。

Webマーケターは他のWeb系の仕事に比べて年収が高いと言われ
ビジネスに直結する、とても魅力的な職業です。
それだけではなく、私の叶えたい夢を叶えるためのものが全て合ってはまっていたのです。

・海外のデジタルノマドビザが欲しい
・今の仕事のお給料よりも収入を上げたい
・時間と場所に制限されず働きたい
・ライターやSNS運用等、自分が好きな分野の仕事を本業にしたい
・高校時代やマレーシアの大学で学んだ広告デザインの知識を活かしたい
・いつかは起業しお金を稼げるようになって、東南アジアの貧しい地域に社会貢献ができるようになりたい

これらの理想を実現するために、
私は会社員を退職しWebマーケティングを本業として収入を得ることを決めました。

今後は友人の会社のマーケティングと、自分のサービス展開に向けて取り組んでいこうと思っています。

 

最後に

このブログでは、私のように世界中どこにいてもクリエイティブな分野で収入を得る自由な生活を実現したい方に向けて、

Webマーケティングのノウハウや海外情報、マインドについて発信していきたいと思っています。

私のブログをきっかけに、皆さんに少しでもwebマーケターやノマドについて興味を持って頂けたら、と思っています。

そして、自由で楽しい未来を作っていくために
読者の皆様と一緒に素敵な未来に向かって、頑張っていきたいです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからもwebマーケティングに特化したものや、海外情報、マインドについて発信していくので
今後ともよろしくお願いいたします!

ではまた❤︎